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えびすい@スマホアプリ開発のALPHAです。

アプリ開発会社をしてます。アプリ制作+メディア運営で喰っていきたいと思いつつ関係有る事無い事を書いていきます。

濡れ地蔵 磨崖仏(奈良県宇陀市榛原山辺三)とは

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お世話になります。えびすい@ALPHAです。

なぜ濡れ地蔵の紹介文を書いているのかは、こちらの記事を参照してください。

blogs.alpha-com.co.jp

濡れ地蔵とは

奈良県宇陀市榛原山辺三319番地にある磨崖仏(地蔵菩薩)です。

※住所が室生大野3846となっていたらGoogle Mapの間違いです。(マークの場所は正しいです)

正確に言うと、夏の渇水期には山辺三319番地にある榛原ふれあい広場の南東の端から小川(満水時はダム湖)を挟んで対岸に顔を出す地蔵菩薩です。

小川のほとりの火山岩(安山岩)を掘って作られたもので、小川の対岸に遥拝所があります。

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※遥拝所より濡れ地蔵をのぞむ。

濡れ地蔵の背後はちょっとした崖で(というか地蔵も崖の一部です)、上部から山水が滴り落ちてきたのでしょう、常に濡れていることから「濡れ地蔵」と呼ばれるようになったようです。

この場所は、1974年に室生ダムの完成により、満水時はダム湖の水中となりました。なので、水没して全く見えない時期もあります。

始終ダムの水に浸かっているから「濡れ地蔵」という訳ではないです。

濡れ地蔵の由来

宇陀市役所による現地案内板より全文引用します。

「濡れ地蔵」

古くは背後の山から水を引いて、この地蔵菩薩に注いでいたというので、俗に濡れ地蔵と呼ばれている。この像は、左手に宝球、右手に鎖杖を持った半身彫の立像で、舟型に掘りくぼめているのが光背の部分である。

背部の右側に「建長六年甲寅八月十五日建」と二行に陰刻されているので、鎌倉時代の造立であることが知られている。蔵の左右には各一体十王の立像と地蔵分身の肖像が陰彫されている。

※建長六年甲寅八月十五日とは、西暦1254年9月28日。

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こちらが案内板。

濡れ地蔵にまつわるリンク集

  • 独立行政法人 水資源機構 木津川ダム総合管理所が室生ダムインフォメーションとして濡れ地蔵を紹介しており、PDFで「室生ダム貯水位と、濡れ地蔵の出没の関係図」を提供しています。
    http://www.water.go.jp/kansai/kizugawa/muro/guide/pdf/20160304_muro_nurejizo.pdf
    興味深いのは、よほどの渇水状態でないと濡れ地蔵の足下に行けないということ。
    ぼく自身、この近辺出身ですが足下まで行ったのはこの夏が初めてです。

  • 室生ダム貯水位もリアルタイムで提供されています。
    水資源機構 関西支社

  • いくつか濡れ地蔵を紹介しているページが有りますが、こちらのページの写真が一番詳細に濡れ地蔵を撮影しています。完全水没の写真もあり。
    濡れ地蔵のサイズ、高さ184cm、像高136cmとあります。
    おそらくこのページを書いた方が実測したか、ここで言及されている大田古朴氏著「大和の石仏鑑賞」(綜芸舎)から引用されたのでしょう。
    このサイト以外の紹介ページでサイズを紹介しているのはこちらのページを参考にしていると思われます。
    山辺(やまべ)濡れ地蔵磨崖仏

大和の石仏鑑賞 改訂

大和の石仏鑑賞 改訂

オリジナルフォト

ぼくが撮った写真も載せておきます。

案内板を超えて、遥拝所、濡れ地蔵(画像の中心少し左あたり)。
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コンクリートの飛び石と濡れ地蔵。
飛び石ができたのはまだ最近ではないかと思う。
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濡れ地蔵から遥拝所を見た図。
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室生ダム・赤人橋から額井岳。(濡れ地蔵の場所からかなり離れています。)
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以上。